2020年は第二次世界大戦終結から75年となる年だった。戦争は遠い昔のように感じるが、私の住むドイツでも、よく見ると戦争の名残りはそこかしこに残っている。その一つが海水浴の名所バルト海のリューゲン島にある「プローラの巨人」と呼ばれる建物群である。
<赤い印で示されているのがリューゲン島。ドイツ北東部、旧東ドイツ側だったバルト海に浮かぶドイツ最大の島だ>
リューゲン島はバルト海に浮かぶドイツ最大の島で、美しい浜辺で知られる。
<今では白い砂浜がドイツでは人気のリゾートとなっている> ©Riho TAGUCHI
この島の東側のプローラ湾に面する海岸に、 朽ちかけた建物がずらりと並んでいる。これはヒトラー率いるナチス政権下の1936年から1939年にかけて、歓喜力行団(かんきりっこうだん、独語ではKraft durch Freude「喜びを通じて力を」)によって、保養施設プローラとして建設されたものだ。歓喜力行団は、市民が娯楽と保養を楽しむことで労働に励むようにと余暇活動を提供した組織で、ナチスへの忠誠心と崇拝を促す役割があった。
<廃墟となった「プローラの巨人」> ©Riho TAGUCHI
ドイツでは自国の加害の歴史をとことん学ぶ。ヒットラー率いるナチス政権の過ちを反省しなければ、かつての敵国と陸続きの欧州では、とうてい受け入れられないからだ。そのため学校で時間をかけて学び、強制収容所を訪問する。ナチスについてのドキュメンタリー番組をよくテレビで見るが、その中にはヒトラーに熱狂するドイツ市民が多数出てくる。通りを埋める群衆、ヒトラーを迎える歓声――それが当時の雰囲気だった。
なぜヒトラーが歓迎されたのか。それはヒトラーが、第一次大戦で負けたドイツ市民に再び希望を与えたからだ。高速道路を建設し、大衆でも買える民車(現在のフォルクスワーゲン)を造り、党の方針を広めるためラジオを普及させた。ヒトラーの出現は、人々に明るい未来を予感させたのである。当時、クルーズ船による旅行はぜいたくなものだったが、歓喜力行団によって参加するチャンスを得た人は、その素晴らしさを自慢した。
ナチスのユダヤ人殺戮を一般市民は知らなかったといわれるが、本当だろうか。 路面電車やバスに乗るのを法律で禁止されたユダヤ人が、黄色いダビデの星をつけて歩いているのを見たことはなかったか。今までなかった立派な家具が自宅の居間に置かれるようになったのは、近所のユダヤ人住居にあったものが安く競売にかけられていたからではないか。
「プローラの巨人」と呼ばれる建物群は、2万人が一斉にバカンスができるよう設計され、1933年から建設が始まった。全長4.5キロに広がる8棟の建造物まで工事が進んだところで、第二次世界大戦開始(1939年)により計画は中断。結局、保養地としての役割を果たすことはなった。 東ドイツとなった戦後は、ソ連軍の爆破訓練に使われるなどして、現在は2.5キロメートルにまたがる5棟が残っている。窓ガラスがなく、コンクリートの廃墟となった巨大な建物が立ち並ぶ姿は圧巻ではあるが異様な光景である。旧東ドイツ出身の友人は「見てごらん、屋根が30センチほど張り出しているだろう。だから壁が痛みにくいんだ」と話す。戦後はソ連や旧東ドイツの軍事施設として使われたが、冷戦終了後に軍は撤退し、長らく放置されてきた。取り壊す案も出たが、コストがかかるため見送られたまま、今日に至っていた。
2月に訪れてみたところ、建物の一部は売却され、モダンな住居に生まれ変わっていた。バルコニーが設置され、海を眺められるようになっている。アートの展示会場となっていた場所もあった。また最北の建物は、2011年からユースホステルに生まれ変わっていた。 400人を収容できる巨大なユースホステルには若者が多く泊まり、海に出かける。紆余曲折の末、当時の目的通り、人々が宿泊する保養施設となったのだ。
<砂浜につづく道。左側は近代的な住宅に生まれ変わり、右側は廃墟のまま> ©Riho TAGUCHI
もし、先の大戦でナチスが勝利するようなことがあ れば、ここに今でも2万人の人々が泊まり、海水浴やレジャーを楽しんだのだろうか。ナチスはユダヤ人や共産主義者、ジプシーを殺戮していた一方、国民を熱狂させるべくこのような保養施設を建てていた。多くの市民はナチス政権の一面だけ見て支持していた。当時の人々はナチス政権に、第一次世界大戦に負けたドイツ人の誇りを取り戻し、産業を発展させ、繁栄する夢を託していた。ナチスのように大衆に訴えるポピュリズムは、現在も世界のあちこちにあるだろう 。雨の日に訪れた「プローラの巨人」は、虚構の夢の成れの果てを見せつけているように思えた。
<島を守る真っ白な砂岩の岸壁は歴史を見つめている>
トップ写真 「快適さ、ドイツの恐怖、売ります」との横断幕が下がる。モダンアート展の展示物の名残か、本当に売却物件なのか ©Riho TAGUCHI